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2012年8月16日(K80)シンクロ通信アーカイブより
まずは、原文のままお読みください。

8月15日は、日本の歴史の中で忘れられない一日です。 
〈何年か前、産経新聞が読者から「8月15日」の思い出を募った。 すると昭和天皇のラジオによる「終戦の詔(みことのり)」いわゆる玉音放送の聞き取りにくさをあげた人が 圧倒的に多かった。

ラジオの雑音のせいだが、文語調だったこともあり「詔」をすぐに理解できた人は少なか った。 それでも後半の「堪へ難きを堪へ忍び難きを忍び」のところで、大半の人は「敗戦」を悟ったのだそうだ。

今CDでその部分を聞いてみると「堪へ難きを」と「堪へ」との間に少し「間」がある。昭和天皇がここで、万感胸に迫る思いを持たれたようにも聞こえる。 一方で「終戦の詔」について「国民に対し忍耐を強いるだけで謝罪がない」という批判があった。だが近現代 史家、古川隆久氏は著書『昭和天皇』で、これに反論する。

「国民の犠牲に対する尋常ならぬ思いが表現されているのは明らかである」と言うのだ。 それは戦争で亡くなった人やその遺族らに対し「五内(ごだい)為に裂く」という異例な表現が出てくるからである。

五内は五臓、つまり全身が張り裂けるようだという意味だ。 素直に「詔」を聞き、読めば、昭和天皇の痛切なお気持ちが伝わってくる気がする。それだけではなく、将来への「前向き」な姿勢が多く表されていることにも驚く。

「世界の進運に後(おく)れざらむことを期すべし 」との表現もある。明治天皇の「五箇条の御誓文」がそうであったように、国の再建の礎にされようとしてい たかに思える。

事実、国民は玉音放送を戦後日本の出発点とした。だからこそ、あの奇跡とさえいわれた復興をなしえたのだ 。その日から丸67年、東日本大震災から1年と5カ月余りの日に、その意味をもう一度かみしめてみたい〉

(産経新聞 8月15日“産経抄”より)

この8月15日は、K79 青い嵐  青い嵐   音1。明らかに、この終戦記念日を起点として、日本社会に大きな変動が起こることを暗示しているようです。8月15日に同じK79が回ってきたのは、52年前の1960年です。

この年の8月15日以降、テレビのカラー本放送が開始されました。この出来事がその後の日本社会に多大な 影響を及ぼした事実は否定しようがありません。 しかしその時以上に、確実に「シフト(転換)」が求められている現在です。大きな変容を必要とする“波”がやってきています。エゴを外した「高次の意識」に気づき、日々少しでも「シフ ト」したいものです。

さてK80  黄色い太陽  青い嵐  音2です。

「困難な問題は、焦って解決してはならない。時間をかけるべし」

という表現があります。日々の生活のなかで、一筋縄ではいかないことに遭遇することもあります。 焦る必要は一切ありません。

焦ることは、呼吸が浅くなり、ひらめきや叡知を妨げることになります。 自らの執着を取り払い、叡知で解消するイメージです。 思わぬところに気づきがあり、解決の道があるものです。
 

〈この10年を振り返って〉

このシンクロ通信から10年が経ち、昭和はさらに遠くなっているのは明らかかもしれません。「昭和の詔」(玉音放送)自体がマスコミ等で報じられる回数も激減しているようにも感じます。

どこかでしっかり「昭和」を振り返り、戦争について様々に学ぶ必要があるのかもしれません。

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