理想が崩れて、そこからが再出発。 娘の誕生は人生の大きな分岐点だった
K256黄色い戦士・黄色い星・音9の私は、逆境から学ぶ「山地剥」。
K94白い魔法使い・黄色い人・音3の娘は、 身長30センチ体重624gの超未熟児で生まれた。
半年後に2500gになって退院した時はまさに「預かり物」の気分。
喘息の発作のたびに入退院を繰り返したが、 「風沢中孚」の娘は、病院でもいろんな人に可愛がってもらった。
本人はきつかった事は覚えてないが、大事にされたことは覚えている。
私の青の時代は、子育て一色だった。
娘は、私のガイドキンで、夫の神秘キン
関係性のない私たち夫婦をつなぐ「かすがいの子」だ。
この子を育てることで、私達は協力し、魂を磨きあったと思う。
「何度生まれ変わっても、目だけは変わらない。」
と言われるが、 娘は私の目が好きで、私を「おめめ」と呼んでいた。
眠る時は目を見ていないと寝なかった。
胎内記憶もあり、
「お腹が空いた~って、お腹蹴っていたよ。」
と語った。
私の胎盤が悪かったから、栄養が行かなかったようだ。
もう少し大きくなった頃に、
「お母さんのことが大好きだったけど、お父さんにとられたの。 だから、今度は子供に生まれてきたんだよ。」
急にそう言った時には、驚いた。
夫と娘は、仲がいいのか悪いのかわからない不思議な関係だったから、 そう言われた時に妙に納得。
ウェイブスペルの神秘キンだから、前世からの繋がりがあって、 お互いが刺激しあっていたんだと後から謎が解けた。
スタートから「普通」でなかった娘を 「普通」にするのに必死だった
でも、「赤い月」音1の夫は、普通じゃない生き方を提案した。
どうせ変わっているなら、いろんな経験をしたほうがいいと、 私に娘を外国に連れて行かせた。
喘息の子を連れて、海外へ行くなんて、小心者の私にとっては大きな試練。
26歳の絶対反対キンの年の結婚も、人生の分岐点だったのだろう。
明らかに私の「黄色い戦士」魂は、これらの挑戦で鍛えられた。
黄色の時代に入って、「子育て」という私の役割は終わり、 これから何をしようか…近所の山道を掃除しながら、漠然と考えていた。
ふとしたきっかけで出会ったマヤ暦にとても心惹かれた。
山の神様が出会わせてくれたのだろうか…… そう思うほど、嬉しい出会いだった。
マヤ暦に出会ってから、パラレルワールドに移行したかのように、 出会う人、起こる出来事がどんどん変わっていった。
まるでメリーゴーランドから ジェットコースターに乗り換えたような人生になった。
気がつけば、アフリカのガボンに住んでいた。
ガボンに住む日本人は50人もいない。
その中に、私の絶対反対キンの女性が二人もいた。
《「分岐点」を迎える前に、必ず起こる「ゆらぎ」》の話を 越川先生がされたが、まさにその「ゆらぎ」が起きた。
日本においてきた娘が失踪?家出?駆け落ち?行方不明?
どう表現すればいいかわからないが、いなくなってしまった。
不安と心配で気が変になりそうだった私を救ってくれたのは、マヤ暦の教えだった。
「マトリックス…全ては準備されている。起こることには意味がある。」
そう思う事で、物事を見る視点が変わった。
私は何に気づけばいいのだろう。
また「今、ここ」に意識を向けるように心掛けた。
日本の娘を心配するのではなく、信じることに決めて、 ガボンの夕焼けの美しさを味わった。
マヤ暦はいろんな所に気づきのサインをくれていた。
私のキンナンバーK256は〝想像もしないところに運が開ける日。
起こる事を正直に受け止めよう。〟だったし、 年回りも「山天大畜」「沢山感」「山地剥」と「山」が続いた。
「見えないものを大切にしなさい。もっと学びなさい。」
と天から言われているようだった。
そして娘はK219〝絶好の変革、大きな浄化エネルギー〟の時だった。
「これは偶然じゃない。きっと何か意味がある。」
そう腹をくくった。
その後の展開は、到底ここでは書ききれないので、割愛するが、 〝事実は小説よりも奇なり〟のような展開だった。
今年の春、娘は「白い魔法使い」の「愛す、許す」、 「黄色い人」の「自由意志」を貫き、妊娠7ヶ月で私の元に帰ってきた。
5月に予定日より1ヶ月早く2222gの元気な男の子を生んだ。
K210白い犬・赤い月・音2、夫と連番で、家族愛がテーマの「白い犬」。
新しい家族が増えて、新たな人生が始まった。
マヤ暦に出会っていなかったら、どんな風になっていたのか想像もつかない。
ただ、これからどんなことが起こっても、そこから学ぶことができる。
そんなすばらしいツールに出会えたことは本当に幸せ。
この幸せを他の人に伝えていこうと思う。