夏を迎える頃になると、私は毎年のように、自分自身の
「心の向き」を静かに見つめ直したくなります。
同じ出来事に出会っても、その受け止め方一つで、人生の景色は大きく変わっていくものです。
最近、私自身が深く考えさせられたことがありました。
それは、
「祈り」と
「願望」は似ているようでいて、
本質的には異なるものだ、ということでした。
私は長年、多くの方々と関わりながら活動を続けてまいりました。
講演会や講座で出会う方々、ともに学ぶ仲間、そして研究会を支えてくださる皆さま。
一人ひとりが、その人らしく幸せであってほしい。 感謝の心を育み、自分らしい人生を歩んでほしい。
そんな願いを胸に、多くの方のお名前を思い浮かべながら、日々、想いを向けてきました。
その想いは祈りにも似た、純粋な愛情だと信じていました。 もちろん、その気持ちに偽りはありません。
けれども、ある時ふと、自分の心の奥に別の思いが混ざっていることに気づいたのです。
「どうか変わってほしい。」 「このことに気づいてほしい。」 「もっと幸せになってほしい。」
一見すると、どれもとても温かな願いのように思えます。
けれどその奥には、私自身が思い描く「こうあってほしい」という理想が、知らず知らずのうちに含まれていたのではないか。そう感じたのです。
その瞬間から、私は
「祈り」と「願望」の違いについて考え始めました。
祈りとは、その人の人生を信頼すること。
相手が自分らしく歩めるよう静かに願い、その人自身の力を信じることです。
一方、
願望とは、自分の思い描く方向へ進んでほしいという、
自分の期待が含まれた状態なのかもしれません。
もちろん、人を思うからこそ、期待も生まれます。 家族であればなおさら。 仲間であればなおさらでしょう。
ですから、
期待することそのものが悪いわけではありません。 ただ、その
期待が強くなりすぎると、いつの間にか、
相手を信じる気持ちよりも、相手を変えようとする気持ちが勝ってしまうことがあります。
心理学では、人は「自分で選んでいる」と感じられるときにこそ、最も意欲的に成長すると考えられています。
自己決定理論においても、自律性が尊重される環境ほど、人は主体的に学び、挑戦し、幸福感を高めていくことが、数多く報告されています。
逆に、周囲から変えられようとしたり、コントロールされていると感じたりすると、人は防衛的になり、本来持っている力を十分に発揮できなくなってしまいます。
また、カール・ロジャーズは、人が本当に成長するためには、
「あるがままに受け入れられている」という安心感が欠かせないと説きました。
人は、評価されるから変わるのではありません。 安心できる関係の中でこそ、自ら気づき、自ら選び、自ら歩み始めるのです。
このことに気づいてから、私自身の祈りは少し変わりました。
以前は、心のどこかで
「どうか変わってください」と願っていたのかもしれません。
今は、
「その人が、その人らしく幸せでありますように」と祈るようになりました。
どのような人生を選ぶのか。 どのようなタイミングで気づくのか。
それは、その人だけが歩むことのできる、かけがえのない道なのだと思うようになったのです。
もちろん、伝えるべきことは誠実にお伝えします。 必要な助言もいたします。
けれど、その先を決めるのは、私ではありません。 その人自身です。
だからこそ、
信じて待つこともまた、大切な愛情なのだと感じるようになりました。
信じて、待つ。 急がせない。
相手の人生を、心から信頼する。
それもまた、一つの祈りのかたちなのでしょう。
シンクロニシティ研究会が目指しているのも、まさにそのような場所です。
誰かを無理に変えようとする場所ではなく、一人ひとりが安心して自分自身と向き合い、
それぞれの歩幅で成長していける場所。
互いの違いを認め合い、それぞれの可能性を信じ合える場所。
そんな
「安全基地」であり続けたいと願っています。 人は、変えられて成長するのではありません。
信じてもらえたと感じたとき、自ら成長を始めるのです。
私自身もまた、そのことを忘れずに、これからも「願望」ではなく「祈り」の心を大切にしながら、一人ひとりとのご縁を育んでいきたいと思います。
皆さまにとって、この場所が、
自分らしく生きる勇気を静かに育む場となりますよう、心より願っております。
越川 宗亮