マヤ暦に出合う前の私~数学教師としての20年子どもに寄り添う日々~
二歳で左手を切断して人生が一変し、周りとの違いに苦しみ、家業の倒産による貧困で人生に悩み、二十歳で最愛の人との別れを経験しました。
それらを乗り越えて、子どもたちにとって意味のある身近な大人になるために教師になりました。
大学の専攻は障害児教育ですが、現在は中学校の数学教師をしています。
二十年間数学を教えたことで自信になり、違う視点から数学を見たいと思い始めました。
マヤ暦を知ったきっかけ~パワハラで鬱に。その休職中の出会い~
そんな中、パワハラで鬱になりました。
そのお陰で病気は医者が治すのではなく自分で治すことに気づきました。
四十歳で休職して、人間の器を広げるために 大学院でアドラー心理学をもとにしたチームづくりを学びました。
自分で人生と病気の課題克服に努めました。
もうすぐで完治するという時に、大学院の時に知り合った友達が SNSにあげた写真を見てビビッときたのです。
マヤ暦とシニアアドバイザー中山さつきさんとの出会い
この出会いから一ヶ月後、奇跡の宮崎講座を受けました。
マヤ暦を学び始めてから~自分のやりたいことがはっきり見えた~
マヤ暦が面白すぎて、学校では生徒や職員全員のキンナンバーを調べて、 教育相談の時間には生徒に結果を伝えました。
授業ではグループ編成の時に、紋章の関係性と音を使いました。
マヤ暦を仕事に活用することがより楽しくなりました
自分のやりたいことが見えた時。
私が大きく変わったのは、さつきさんの沖縄講座を受けた時です。
さつきさんと一緒にいると、思ったら叶うシンクロミラクルを何度も体験しました。
連れて行ってもらった久高島で、私は自分の未来を祈りました。
さつきさんは、私たちの人生がよくなることを全身全霊で祈ってくれました。
その違いに自分の未熟さとさつきさんの深い愛情に気づいたのです。
そして、私のやりたいことがはっきりとしました。
「さつきさんみたいになりたい!マヤ暦で子ども、お母さん、先生を元気にしたい!」
アドバイザーを目指した私がもった夢
特に、特性のある子どもたちのお母さんの役に立ちたいと思いました。
学校に来るお母さんたちは、いつも自信がなくて、
「すみません」
と何度も謝ってばかりでした。
その姿に心が痛くなりました。
そこで、さつきさんの子育て講座を企画し、気になるお母さんたちに声をかけました。
受講したお母さんたちは、子どもたちの本当の役割を知り、 なぜ子どもたちが自分のもとにやってきてくれたのかが分かり涙を流していました。
それから一緒にマヤ暦を学びました。
このお母さんたちとの共通の夢もできました。
障害者や特性のあるなしに関わらず、子どもたちの明るい未来をつくる
子どもたちが自立するために、障害や特性があっても正規の賃金で働ける場所をつくる
今のお母さんたちは、きらきら輝いています。
そんな姿を見ると感動して涙が出ます。
私をアドバイザーにしてくれたことに心から感謝しています。
そして大切な仲間になりました。
子育て講座を開催した日は特別な日でした。
この子育て講座の日は、私のツォルキンバースデーであり、 マヤ暦と出会った日からちょうど一年後でした。(ヤバい!)
子育て講座は自宅で行いました。
亡き祖父から譲り受けた家です。
祖父のキンナンバーを調べたらK226でした。
私は感動し過ぎて泣いて叫びました。
すぐに宇宙と祖父への感謝に代わりました。
祖父は私と同じキンナンバーだったのです。(ヤバすぎる~!)
4月から新しい職場になりました。
そこには私の絶対反対キンが4人、鏡の向こうのセットが3人います。(どんだけ~!)
あの子育て講座から、私の魂の覚醒の旅は続いています。
人と人とのつながりや縁が宇宙からの応援だと分かり、
私は一人で生きているんじゃないと本気で信じることができ、
感動と感謝、愛と勇気を毎日感じています。
「職員室で一番楽しそうなのは先生だね!」
不登校を経験した生徒が言いました。
この言葉は重く響きました。
過去の互いの経験を共有して承認し、人生を勇気づける最高の宝物となりました。
マヤ暦は生徒やお母さんたちだけでなく教師としても、人としても私自身を輝かせてくれています。
そんな自分のことが本当に大切になりました。
これまでの夢は志となり、私の次の夢はエンジェルナンバーと神聖幾何学模様の授業をつくることです。
そして、マヤ暦とアドラー心理学をコラボした紋章別の「勇気づけ」の声かけ集をつくることです。
形にした後のことを想像するだけでワクワクします。
無理をせず楽しみながら、世のために人のために尽力したいです。