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マヤ暦は自分らしく生きるツール。学んだらもっと楽しくなります。
大学時代の就職活動時、自分のやりたいことが見つからなかったという優太さん。面白い会社に就職し、淡路島に移住、その2年後大分県別府市でマヤ暦と出会います。マヤ暦で自分の人生を振り返った時に、全てがつながっている、経験したことに意味があると気づいたそうです。
アドバイザーになった今は、出逢った人にポジティブな伝え方をできるように勉強を続けているといいます。

自分のやりたいことを見つけられない方、うまくいかないと思っている方におすすめのストーリーです。

マヤ暦に出合う前の私~自分の将来や自分の存在価値に不安~

―マヤ暦を知る前のお悩みを教えてください
はい。
マヤ暦を知る前は自分の将来とか自分の存在価値とかそういうところが不安でした。
で、あとは人間関係、仕事で主に痛感したんですけれども、伝えたつもりが伝わらなかったり、向こうは伝えたつもりだけどこっちはわかってなかったりとかそういう行き違いが生まれて、その辺で結構仕事の不都合が生じちゃって苦しかったとか、そういうところですかね。
当時悩んでたことは。
 

 マヤ暦を知ったきっかけ~やりたいことがみつからない。模索する日々~

―マヤ暦はどのように知ったのですか
まず、大学を卒業して調理の仕事に就いたんですね。
調理の仕事をしようと思ったのは、一番上の兄が脳のがんになって療養生活になった時に、何も食べれない、あんまり食欲が湧かないという兄に一度、簡単なご飯を作って食べてもらったら、
「美味しい」
って喜んでくれたのが嬉しくて、
「これで何か役に立つのかな」
と、料理の道に行こうと思ったんです。
しかし、就職する直前にその兄が亡くなってしまって、
「料理の道に行こうと思っているのに、果たす先の人がいなくなっちゃった」
となんかモチベーションがなくなっちゃって。
仕事が始まっても
「何のためにこれをやってるのかな」
というのとか、すごい体育会系の組織だったのできつくて3ヶ月もたたずにやめちゃいました。

その後、アルバイトしたりとかして、やりたいことを探していました。
公務員の道を目指して勉強していた時期もあったのですが、やっぱりモチベーションが続かなくて。
そんな時、尊敬する先輩に背中を押してもらって、面接を受けて受かった会社が前職の会社でした。
その仕事は淡路島で農業しながらビジネス研修という、ちょっと変わった会社で。当時、自分は25、26くらいだったんですけれど、先ほどの先輩が
「若いうちしかできないんだから行ってきなよ」
言ってくれました。
そこでは、14、5人の同じ世代の同期、新卒とか第二新卒のメンバーと一緒に農業をやりつつ、寮生活をして、自然豊かな島で玉ねぎの匂いにもまれて過ごしていましたね。
その会社が結構面白い会社で、和太鼓とかタップダンスをやって地域おこしをするみたいな。
なんかそういうすごい面白い経験をさせてもらえて、それでみんなで一緒に何かをやったり。
なんか未来について楽しくなる
そういう希望が生まれた2年間になりました。

その2年間を終えて今度転勤になって、九州の大分別府に移りました。
大分ではホテルの仕事で、全くホテルの経験もない中、つまずいてばかりで仕事の難しさというか、仕事とは何かっていうこと、仕事のやりがいや楽しさをすごく教えていただいた場所になりました。
そのホテルのセラピストさんが宮垣優さんで、マヤ暦を見られるっていうので見てもらいました。それがマヤ暦を知ったきっかけです。  
 

マヤ暦を学び始めてから~淡路島に行ったこともマヤ暦や今の職場に出会ったことも繋がっていました~

―「マヤ暦」と聞いた時、どんなイメージがありましたか
そうですね。
最初は 「なんか面白そうだな」 という好奇心だったんですけどでも、話を聞いていくと
「波に乗っていけるのかなぁ」
とか
「自分でそういうチャンスとかつかんでいけるのかなぁ」
とかそういう期待を持ってましたね。

―マヤ暦のセッションを受けてからすぐに講座を申し込んだですか
深く考えないタイプなので、音1だからなのかはわからないけど、
「もう面白い。もっと学びたい。これ学べるの?」
「学べるよ」
って言われ、
「じゃあ学びます」
っていうすごい即答だったんですよね。
本当に自分が変われるんだろうなっていうか、これを学んだらもっと楽しくなるんだろうな、というイメージがありました。
そして、これを学んでどうしていきたいかっていうのが、やっぱり自分と同じように悩んでる人の背中を押すことができたらいいな、そのためにマヤ暦をやってた方がいいのかなと思いましたね。  

―そうなんですね。そこからマヤ暦を学び始めてからはいかがでしたか。
過去を振り返った時に  全部意味があったんだ 今に繋がっているんだ、ということがまずわかりました。

例えば、青の1年目に入って、生まれて初めて実家を出て淡路島に行ったという、すごい変化のある時代になったとか、青の4年目っていう探求の時にマヤ暦を学んだりとか。
さらにフラダンスやアーユルヴェーダにも出会ったのも青の4年目でした。
フラダンスは今もやっていますし、アーユルヴェーダはスクールに通って勉強して、そこでも仕事としても働くことになりました。
あとは赤の時代と白の時代の13年目に、淡路島に行く前に背中をしてくれた人とかそういうキーパーソンとなる人に出会えていたとか。
そういうことがセッションではわからなかったけど、マヤ暦を学んだことで、振り返ることができて気づきました。

他にも、自分の年回りと同じキンナンバーを持つ人出会ったりしていますね。
例えば、年回りがKIN35の時に、KIN35っていう人にちょうど出会ったタイミングで職場(今のアーユルヴェーダのスクール)への就職が決まったり。

また、今自分が青の時代を生きてるので、同じく青の時代を生きている人との関わりが強かったり、そういう不思議なつながりに気づけるようになりました。  

それと、とても前向きになりましたね。
今、宮垣優さんのお姉さんである則次藍さんのところでも勉強させていただいています。
そこでは、すごくポジティブになれるいい方、ポジティブな伝え方っていうことを勉強させていただいているからか、人にマヤ暦を伝える時にもすごくポジティブに伝えられるようになりました。
だからマヤ暦のセッションでなくても、人の悩みに対してポジティブな伝え方ができたりとか、そういう変化がありましたね。  

―いいですね
そうなんですよ。
優さんや藍さんと関わっていくと、全部プラスにされるんですよね。
その前からも、自分が迷っていてマヤ暦を見てもらった時に、背中をおしてくれる言葉をいつもいただいていたんですよね。  

「やりなよ」
「チャレンジしなよ」
「別府に今いる意味が分かったときがここでる時だね」

とか、その時にあった言葉を言ってもらっていました。  

―そんな優太さんがマヤ暦を学んで変わったなぁと思う3つを教えてください
1つ目は出会いが変わりました。
今までがすごい良い出会いじゃなかったっていうわけじゃないですけど、自分の好きな方向性が定まってくると、同じような目標に向かっている人、感覚が近い人との出会いが増えて、いろんなチャンスとか仕事が来たりとかがありました。  

2つ目は、少し受容する枠が広くなったのかなって感じがします。
僕を音1だからテーマが受容なんですね。
それまでは、頑固で頭が硬かったんですけれど、今は、
「そういうこともあるよね」
と受け止められるようになって、ちょっと枠が広がったのかなっていう感じはします。  

3つ目は、安心感みたいなところですかね。
僕は赤い蛇の紋章を持っているので「安心感」というキーワードが大事だと思うんですけど、その安心感が持てるようになりました。
マヤ暦がきっかけで優さん、藍さんとかマヤ暦のメンバーつながりができて、そこの存在も心強くなったっていうのも大きいですね。
「大丈夫だ」
「なんとかなるさ」
と、そういう考えになったところが大きいかと思います。

―その変化はどうして起こったのでしょうか
自分が変わって環境が変わったんだと思います。
今だからわかることなのですが、マヤ暦に出合う前は周りに自分の反対キンが多くて、いろいろな学びを得る時だったんだと思います。
その当時は、自分らしく生きていくのが難しく、上から抑えつけられていると感じていました。
でもそこで、苦しんでしごかれたからこそ、いろいろ受容できるようになって、周りの環境も変わっていったってことになって、すごく働きやすくなりました。  

―よかったですね。優太さんの今の目標を教えてください
今は「誰かのために」という気持ちが強くなっています。
今まで自分が経験した仕事で、辛いことがあったりとか、将来どうしようかなって夜な夜な泣いたこととかも、全部意味があって、人の気持ちに寄り添えるために経験したことなんだろうなと今は捉えています。
だからマヤ暦とか今勉強しているアーユルヴェーダとかフラもそうなんですけど、自分もやってて楽しいけど、見てくれている人、携わっている人、関わっている人で悩んでたりとかしたら、その人に元気を与えられるような人になりたいです。  

―いいですね。優太さんにとってマヤ暦とは何ですか  
自分らしく生きるためのツールですね。
今も自分らしく生きているかって言ったら、まだ課題なんですけどね。
でも僕はマヤ暦を学び始めてから、自分がどう思っているのか、どこに行きたいんだとか、マヤミラクルダイアリーに書くようになりました。
そうすると、自分と会話をするみたいなこともできるようになって、より自分の心の声を聞きながら、日々生きられているのかなと思います。  

―ちなみにマヤ暦って占いと思われることも多いと思うのですが、占いとの違いはどんな部分だと思いますか?
うーん。そうですね。
僕は占星術を見てもらったこともあります。
否定するわけではないのですが、この時はちょっと良くないねとか、そうやって言われてしまうと、そのワードが心に残って引き寄せてしまうのかなぁと思います。
だから、そういうことがあった時に「あ、やっぱりこれが言われた通りだ」とかって思いますよね。
でも、マヤ暦は吉凶がなく、相手にちょっと考えさせる余白を作るみたいな感じだと思います。
自分の中で答えを見つけていける、そのための手助けになるのがマヤ暦なのかなって感じがしますね。
これは藍さんから教わったことの1つですね。  
 

マヤ暦をおすすめしたい人

―いいですね。どんな方にマヤ暦を知ってもらいたいと思いますか
悩んでて、でも頑張ってて、でもなんかうまくいかない人とか、そういう人に知ってもらいたいです。
その人が過去や、今悩んでることとか、そういったことを受け入れられるようになって、未来への展望が広がったりしたらいいなと思います。
僕がセッションするとしたら、堀部がいるからここに行けばなんかちょっと気が楽になるとか思えてもらえたら嬉しいです。
その人がマヤ暦を学ぶようになったら、人生の指針が見いだせるようになって、悩みが軽減すると思います。  
僕が思う、マヤ暦を知るといいことは

・すべてに意味があると過去を前向きに捉えられるようになる。
・人との違い、他人を受け入れられるようになる。
・今の自分の立ち位置を知り、どう今を生きるかがわかる。
 

だと思います。  

―優太さんがマヤ暦をお伝えする際に大切にしていることはありますか
そうですね。これは藍さんがおっしゃってたことですごく共感したので、僕も意識してるんですけど、セッションした人はずっとその人を守っていく、その人を信じて守っていくみたいなそういうことを大切にしています
 

みなさんへのメッセージ

今まで生きてきたことの中には、辛いことももちろんあったりするけれど、すべて意味があって今につながっていて自分の成長にもつながってると思うし、そういう頑張ってきた過去も全部受け入れられて、明るい未来に向かって感謝の心を持って生きいけたらいいなと思います。
このストーリーのアドバイザー
優太
アドバイザー
優太

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