2022/4/13
Facebookで共有 twitterで共有
2012年4月23日(k225)シンクロ通信アーカイブより
まずは、原文のままお読みください。
 
100歳の  “現役映画監督”  とは・・・。重さがまったくちがいます。
〈明治最後の年に生まれた映画監督の新藤兼人さんは、95歳の時にこう書いている。「百歳まではとても無理だと思うが、わたしは今、生きている。この一秒を、この十分を、この一日を生々しく生きてる」。それから5年がたって、ご本人の見通しはうれしくも外れた

現役の輝きを保ちつつ、きょう100歳の誕生日である。去年公開された49作目の「一枚のハガキ」は、自らの兵役体験をもとに作った。好評を博し、映画誌「キネマ旬報」による昨年の日本映画の1位に選ばれた

「かけがえのない人を十把一絡(じっぱひとから)げで殺すのが戦争」という名匠の言葉には、激動を生き抜いた重みがずしりと乗る。この一秒、この一日を積み重ねて至った大台の齢(よわい)である

そんな大長老、新藤さんにも先輩はいる。厚労省によれば、全国の100歳以上は昨年で4万7千人を超えている。超高齢のイメージを覆す活躍も多彩に聞こえてくる医師の日野原重明さん、ベストセラー詩人の柴田トヨさん・・・。有名人だけではない

頂戴(ちょうだい)した公募の歌集「老いて歌おう第10集」を開いたらこんな歌があった。《百とせをすごせし梅の切り株に朱き茸(たけ)生ゆ二つ三つ四つ》。106歳の福島ミヤさんの作だ

《人間といううれしいものに生まれ来て百四歳の今日も歌詠む》は池田ハルヱさん。みずみずしさにこちらの心も潤ってくる。きれいごとばかりの老いではないだろう。だが「うれしいもの」に生まれた喜びを、老若が分かち合える、この国でありたい〉

(朝日新聞  “天声人語”  4月22日)

新藤兼人監督は1912年4月22日生まれ  K124  黄色い種  白い鏡  音7です。博学で様々な分野に関心がある典型的なキンナンバーです。同じ100歳を超える著名人をみると、日野原重明先生はK184  黄色い種  青い夜  音2。柴田トヨさんはK84  黄色い種  青い嵐  音6です。

新藤監督と合わせてみると三人ともに「黄色い種」です。「黄色い種」のあくなき向上心が生きる力となっている気がしてなりません。老若がともに喜びを分かち合える国家を築きたいものです。

さてK225  赤い蛇  白い風  音4です。

「仕事を好きになったこと  会社を好きになったこと  そのことによって今日の私がある」

日本を代表する著名な経営者の言葉です。「好きになること」は、吸収力を高め、短期間での成長を可能にしてくれます。好きになればこそ、無我夢中にもなれます。そこには別次元の喜びが待っているのです。

〈この10年を振り返ると〉

新藤兼人監督はこのシンクロ通信の約1か月後の2012年5月29日、日野原重明先生は2017年7月18日、柴田トヨさんは2013年1月20日、各々永眠されています。

個人的には晩年の柴田トヨさんの作品に不思議な可愛らしさと癒やされた記憶が色濃く残っています。柴田トヨさんの葬儀の参列者へのお礼状には、トヨさんの遺作となる未発表作品が掲載されていたといいます。

皆様に
お迎えが 何回か来たけれど 口実を作って お断りしてきたの
でも私も101歳 次は無理かもしれない
私のお葬式 たくさんの人が 来てくれるかしら
その時は悲しまないで
トヨさん がんばったねって 声をかけてください
その言葉を励みに 天国でもしっかりと暮らしてゆきます
皆様のご多幸を 日射しとなり そよ風になって応援します
いままで ありがとうございました
倅夫婦をよろしくお願いします


あれから10年が経ち、人生100年時代が現実になってきました。

関連ストーリー

2012年3月1日(K173)シンクロ通信アーカイブより

2012年3月1日(K173)シンクロ通信アーカイブより

まずは、原文のままお読みください。   閏日に、“力強い” 特集のようなコラムです。得した気持ちになってきます。 [...]
2012年3月10日  (K182)シンクロ通信アーカイブより

2012年3月10日 (K182)シンクロ通信アーカイブより

まずは、原文のままお読みください。   今度は、奥さんが相棒になります。 [...]
2012年4月13日(k215)シンクロ通信アーカイブより

2012年4月13日(k215)シンクロ通信アーカイブより

まずは、原文のままお読みください。   日本も退任後に、真に世界レベルで貢献する首相経験者が登場してほしいものです [...]