マヤ暦を知ったきっかけ~遊ぶように生きてもいい?!~
私がマヤ暦に出会ったのは2017年10月7日。
中山さつき師匠の講演会後の懇親会の時でした。
(講演会の中身はマヤ暦ではありませんでした)
懇親会で
「私、マヤ暦アドバイザーになったから生年月日を教えて」
と言われ伝えました。
「ゆみぴーは、 青い猿!自由に、遊ぶように生きたらいいよ」
と 言われ、
「何ですか〜?めっちゃ嬉しいですやん!遊ぶ?」
遊ぶに大きく反応しました。
何かわからないけど
「詳しく教えてください」
と直感で言葉を発したのを覚えています。
マヤ暦を学び始めてから~マヤ暦の話に感動し、すぐ行動~
ちょうどいいタイミングでダイアリー講座があると聞き、 ダイアリーの申し込みをお店の紙のコースターの裏に一番に書いたのを覚えています。
その場にいたほとんどの人がさっちゃんのマヤ暦の話に感動しダイアリーを申し込みました。
あの時直感に従って本当によかったです。
2018年1月27日にダイアリー講座を受け、マヤ暦にハマった私はそのダイアリーが終わるまでにアドバイザーになっていました 。
(妹のキンバースデーに認定されました)
自分がアドバイザーになりわかりましたが、 1冊目のダイアリーを使い切るまでにアドバイザーになるってすごいことですね(笑)
この時、私は黄色い時代の13年目!
大きなギフトを受け取りました。
すごい流れ!シンクロが起こり、沢山の学びと変化の連続
2冊目のダイアリーの始まり、K1の10月26日は私の誕生日でした。
その日から赤の時代の1年目が始まり、 私のアドバイザーとしての活動が活発になっていきました。
すごい流れ!
シンクロはこれだけでは終わりません。
K1は私の父のキンナンバーです。
キンバースデーにはあえて予定を入れずに何が入ってくるか 楽しみにしておくのもありよ
と聞いていたので楽しみにしていました。
そしたら、父の手術が入ってきました。
私の年周りがK1だったので、
そうきたか!
2018年は父と深く関わることになると納得!
この1年は本当に父に助けてもらうことも多くなり、 反対キンの父なので学び多き1年でした。
マヤ暦は生き方の学び、家族との関わり方も随分と変わりました。
マヤ暦を初めて同時期くらいに主人が何回も事故を繰り返しました。
何度も繰り返すのにまだ気づかないかと神様は教えてくれたんでしょう。
腰の痛みで病院に行くと今日から入院、手術が必要と言われました。
普通の人ならすぐに手術して退院できるのですが、 持病の糖尿病も同時に治療しないと手術できないと言われ、 結局52日間の入院生活を送りました。
マヤ暦で言うと1つの城の数字です。
それも意味があるなと思いました。
主人はK114。
白い魔法使い
『今までの人生を許す』
自分を信じて動くと拡がっていく人だからね!と伝えています。
目に見えないものは信じなかった人でしたが、 今では不思議な話や神社仏閣の話などもできるようになりました。
と同時に、パートナーシップも見直す事ができ、楽しい時間になりました。
マヤ暦を学んだ私が大きく変わったこと
私はもともと「ねばならない」で生きてきた人なので、 大きく変化したのは子育ての考え方です。
2人の子どものキンナンバーを見て納得しました。
1人は(K256)普通高校にいかず通信の高校に籍をおきながら、 ゲームのキャラクターデザインの学校に通っています。
もう1人は(K91)11年続けた女子サッカーをキッパリやめて 世界を感じたいと旅に出る準備をしています。
マヤ暦を知り
一人一人が決めてキャッチしたキンナンバーで生きることができたら どんなに幸せか!
それがわかったので子育ての考え方も大きく変わりました。
私自身が「ねばならない」から、たくさんのものを手放し、今は自分らしく生きております。
これからは自分が自分を認め人生は楽しいものと思える大人をひとりでも増やしたい。
面白がって人生は楽しいと見本を見せてくれる大人を増やしたい。
大人になりたいと言える子どもたちを増やしたい!
現在赤の時代の3年目を生きています。
次の赤の時代は100歳。
生きてる気もしますが(笑)
今みたいにフットワークが軽いかはわかりません。
さつき師匠が教えてくれた『今ここすべて』で勢いよく活動していきます。
マヤ暦を極め視野をどんどん拡げて行きたいと思います。
最後に
マヤ暦を教えてくれた中山さつき師匠。
アドバンス講座を福岡からわざわざ奈良、京都まで来てくださった夏村ひとみ先生。
越川先生、齋藤社長、同じ時期に一緒に学んだマヤ暦仲間、 そして私からマヤ暦を学んでくれた皆さん本当にありがとうございます。
これからもゲームを一面、一面クリアするように面白がって生き、マヤ暦を伝えていきます。 テーマソングはスーパーマリオです(笑)