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マヤ暦で自分を知り、これまで自信のなかった自分を克服!自分を大切にできるようになりました。
第一の人生は、自分や周りの幸せに違和感があったけど、これからは自分も幸せになりたいし、誰かの役に立ちたい。そんなお話をしてくださった阿部美也さん。
人に与え尽くしたり、心配性だったり、健康に不安のある方、なかなか素の自分を出せなかったり、ついつい自分に×をつけてしまう控えめな性格の方が自分の心地よい方向、自然体でいる方法を知るための希望となるストーリーです。
―シンクロニシティ研究会の講座に初めて参加された時、どんなことで悩んでいましたか?
 
当時私は病気(肝臓がん)を発症し、検査を続ける最中で家族や誰にも話せず一人で抱え込んでいました。 また海外の安全といえない国で働く息子の安否が心配で頭から離れず、そして日常的に実母や夫の両親のお世話をする環境は良いのですが、兄弟の言動が身勝手に思うことも日々あり、悶々としていました。検査の結果は悪く落ち込むばかり。一人の時間やふとした時に涙があふれ、でも病気になったのは自分の責任、心配かけたくなくて周りにそれを感じられないよう明るくふるまう行動と悲しい辛い心は真逆、真っ暗な穴ぐらから抜け出せる、そんな光を探してもがいてました。
 
―なぜ誰にも話せなかったんですか?

それまでの私の人生で、人に話すということがなかったんです。例えば、学校でいじめに遭った時期もあったんだけども、それを親に言わなかったんです。親にも心配かけたくないから、言わない。むしろ楽しいことを話していたりとかしていました。だけど、隠れて泣く子だったんですよね。多分、それは姉がいたからっていうのがあって、姉は結構オープンだし、感情も出せる。(赤い蛇さんだったんですけどね笑)その姉を見ていたから、2番目だから、なんとなく我慢しなくっちゃみたいな・・・(お古を着てるとかね)そういうのもありつつ、なんか私は心配かけちゃいけない。良い子でいなくちゃいけない。みたいに、いつの間にか、我慢するべき。って思ってましたね。今思えば、子供の時から自分の生き方を考えたりとか、自分って何者?とか、私ちょっと変わってるなぁ。とかそういうのは思っていました。なんか、本当にマヤ暦に出会うまでは、自己犠牲して尽くす。何かしたいならば身を削って。みたいな感覚です。なんでそんなことしてたんだろう?と思うけれども、そんな自分だったから、病気になった時も、とにかく主人が仕事で忙しかったし、子供たちのことも、それぞれ気にかけることが色々あったし、親は親で歳をとっているし、なのに、好きなことをやっている兄弟たちがいて・・・。私は迷惑かけちゃいけない。みたいなスタンスだから、誰にも言わなかったんです。

―すごい。頑張り屋さんなんですね。

でも、やっぱり、気持ちを抑えるってできないんですよね。蓋をし続けるっていうことができなくなって、ちょっと離れている人に病気のことを明かしてたんですよ。(この人なら、そんなに迷惑がかからないだろうなみたいな人を知らず、知らず選んでましたね)他の人にその話をしたときに、「なんで家族に言わないの???(驚)」って言われましたが、確かに、家族に打ち明けられるタイプの人からすると、不思議でたまならないですよね。(ただ、私からすると、言えなくて苦しかったけど、家族に不安かけてないから。なんて良いことしてる感覚もあって、そうしていたのかも・・・)
でも結局は、主人には、めちゃくちゃ怒られましたし、娘にも明かしたらすっごい怒られて・・・(苦笑)

―それは、そうですよ〜!どのタイミングで打ち明けたんですか?
 
病気が見つかったのは、2019年なんですが、主人に言ったのは、マヤ暦を知った後、なので2020年です。

―え???そんなに内緒にしてたんですか?!治療はどうしていたんですか?

それがね。入院して曖昧な感じが嫌だったので、検査をずっとしてて、がんセンターでもMRをとってもらうんですけど、やっぱりグレーなんです。腫瘍マーカーでは、やっぱりいつも出るから、ガン細胞があるのはあるんだけどどこにあるのか・・・?となっていて、結局、治療ができずの状態だったんです。
 
―そこからどうなったんですか?

病気がわかってからは、エンディングノートを作ったり、お手紙を書いたり、自分がしたいことをピックアップしたりしてました。もう自分が助からない方向しか見ていませんでした。

―なるほど。でも前向きな気持ちに変わったのはなぜですか?

それはね。なんだろう・・・やっぱり子供かなぁ。成人もしているんだけども、やっぱり、「待って待って」と思って。私が言いたいことが、この世にいなくなったら届かないぞ。と思って(笑)実母の存在もそうですけど、やっぱりこの世に未練を感じて、自分でできる努力をしようと思い直したんです。(先生を信頼して、先生の判断に任せっきりになっていた自分にも気づいて・・・)

―すごい。周りの存在って大きいですね。

うん。で、そこからは、自分でできる努力はしないといけないと思ってね。
体の声を聞くことに意識を向けました。内臓とか、腸とかもそうだけども、体の中にはやっぱり心が宿っているような気がしてね。どちらかといえば、頭は分析するもので、感情とか心は体の方にあると思ったんですよ。だから、あれ?この病気は、自分の心が作ってる???もしも、その意識が変わったら、変わるんじゃないか?って・・・

―なるほど。それは本を読んでとかじゃなく、自分でそう感じ取ったんですか?

本を読んだり、SNSを見てフッと自分にメッセージで来た感じです。
やっぱり心と体が繋がってるだろうし、その時に食べ物についても考えたけど自分をがんばらせないこと。っていうのは思ったんです。これまでは、人のために、人のために。って頑張ってきたけど、「あれ?私、自分の身を削って、アンパンマンじゃないけど、自分のパンはパンで持っとかなくちゃ。と思って、自分の体を考えて、削ってるとこんなことになるんだよっていう結果かなと思って。

―なるほど。確かに、自分を大切にするって忘れがちですね。旦那さんには何をきっかけに伝えたんですか?

k12の日にマヤ暦をはじめて学んだんだけど、そろそろ言わないとと、覚悟を決めて・・・半年後の(k21)に伝えたんです。(ちなみに、マヤ暦で紐解くと夫(k76)と、私(k227)は倍音しか関係性がないから、自由にさせてもらえるし、私も夫がしたいことを認めることができる。その結果、お互いに大事なことを言わない夫婦だったということもわかりました!仲が悪かったわけじゃないんですよ笑)年回りがk22だったから、年回りのナンバーの前の日に変わろう!という気持ちで伝えようと決めたんです。(ダイアリーには、ごめんね。打ち明けたことで心配させてしまう。ごめん。と書いていました)

―大病なのに、半年後だとびっくりされたんじゃないですか?実際、伝えてみてどうでしたか?
 
なんで言わなかったんだ〜!と、主人に伝えた時は、もう目が違うし、黄色い戦士だから一直線で私より病気になりそうやな・・・みたいな感じで(汗)多分、主人にしたら、なんでそんな状態なのに平気で朝ごはん作ったり、今まで会話してたんだ?!みたいな驚きと、ちょっと不信感もあったと思います。でも、私は、迷惑かけたくなかったし、仕事で忙しい、夜も遅いし、そのことで頭がいっぱいだし、自問自答を繰り返すような人だから、主人はそのことを伝えても余裕がないんじゃないかな?とかそんな気持ちがありましたね。
 
―そうなんですね。伝えた後のご自身の気持ちはいかがでしたか?

「あ。これは治さない」と。スイッチが入りました。絶対に、取り除くっていうか治そうってね。というか、私以上に苦しんでいる主人を見た時に、この人なんとかしなくっちゃ。ホッとさせたい。という思いも出てきて、根拠はなかったけど治せるぞ!って思いましたね。

―気持ちの切り替えができてよかったです。シンクロニシティ研究会の講座はどのようにして知りましたか?
 
52歳(2016年)になる直前でした。身体のインストラクターになるため大阪へ通い同期で出会ったのが今同じマヤ暦アドバイザーの奈良県の大⻄真由美さん。すぐに仲良くなり、その後も連絡したり会ったりしてたのですが、ある日「誕生日教えて」と連絡が。その時に聞いたのがインストラクターになったばかりの宮池佳代さんが大阪でマヤ暦の会をするから、参加してちょっと聞いてくるね。 後日「すごいよ。私の親友と美也さん、前からなんか共通の雰囲気があると思ってたんやけど、1/260 の関係!そして美也さんの魅力はね...」と話してくれました。 その時「マヤ暦、私も知りたいな」と気にはなりましたが、わざわざ富山か大阪まで行く気持ちは持てず、そのままに。 ある時、大⻄さんとの電話で「もうすぐ新しいスピンが始まるからマヤ暦のダイアリー講座を受けるのよ」と聞きました。マヤ暦が気になってた私は「私もマヤ暦を知りたい。」と話したのですが、翌日、宮池さんが今度からzoom でも講座を行うという情報を教えてくれました。 私はすぐに入門講座を申し込み、マヤ暦を学びたくなり初級講座を申し込みました。その頃、最初の緊急事態宣言が出ていて仕事は完全にストップ、ステイホームだったことも拍車がかかりました。初級講座を週に一回づつ受けたのです。申し込むときに講座代が一瞬頭をよぎりましたが、あの頃ステイホームの状況、今しかこんなに時間取れないかも、というぐらい時間がありました。
 
―講座を知ってすぐに参加の申し込みをしましたか? 

入門講座からダイアリー講座、そして初級講座まではタイミングと勢いで進みました。 「次のステップはアドバンス講座です。1から5、どこからでもどれでも受けれますよ」 受けるなら自分のキンナンバーだけではなく家族も...となり、いずれ全5回受けたくなるのは想像できました。躊躇の理由はお金と時間。ちょうどその時休みだった授業がリモートに切り替え行うことが決定、パソコンは得意じゃない私はリモート授業用準備にも時間を費やしてました。 アドバンスという⻑時間の受講時間が取れるだろうか。受けるなら全5回。講座金額の価値はあると理解してますが、私にとってかなり高額。 受けたい、いや我慢しようか、ここまでの学びで一休み、またいつか受けようかなどと迷いました。 そして『直感で進もう!』 
コロナ禍でこれまでと違う、この時に出会ったマヤ暦に意味があるように感じたのです。だから心が求めることをしよう、今だからこそ。思い切ったこの選択が後で貴重な体験になる。贅沢な時間を過ごそうと思ったのでした。 決めた日のダイアリーに「命に感謝の毎日を。今が大切。笑顔で過ごして、心も身体もどんどん本当の自分に戻る」と書いてありました。 
 
―コロナ禍で収入減の時に学ぶって勇気がいりますよね。昔の自分だったら、どういう選択をしてましたか?
 
学びたいから学んだかもしれないけど、ちょっと後ろ向きな気持ちだったと思います。うん。でも、周りに気を遣いながら、主人は一生懸命働いているのに、自分は座って勉強して・・・自分のためにこんなお金をかけるのは良くないな。とかマイナス的な気持ち・・・。かな。

―それでもなお、前に進めたのはなぜですか?

一緒に学んでいた大西さんの存在が大きかったですね。まゆみさんは、自分のキンナンバーのアドバンスだけ受けるって言っていたけど、せっかくなら私は家族も見たくて・・・全部受けようと思ってるの。と言って、電卓を叩いて、うわぁ。こんなに・・・とびっくり(笑)それでも、私は受けたいんよねぇ。と相談したら、最後の決め手に真由美さんが、これって美也さんと一緒に過ごせる贅沢な時間よね。コロナ禍でお互い家にいて会えないけど、ズーム越しに一緒に顔を合わせれるし、時間を共有できるって思って、そうだ!お金も高価だけど、それ以上の時間が贅沢だし、人生のご褒美みたいな気持ち(笑)もう、受けたい直感を信じました!(この一歩を進んだら光が差し込むような明るい未来が見えましたね。)
マヤ暦があったら人生が変わると感じたし、主人にも何かしてあげれる!家族にも!!!と思い、役に立つし周りの人を幸せにできるものなら、我慢せず、今のタイミングで学ぼうと思いました。

―マヤ暦を学んでどんな変化がありましたか?

不思議なご縁で導かれるようにして研究会のマヤ暦と出会い進んできましたが、学んでいく中で「私が知りたかったのはこういうことだ」私の中ですっきりしていく感覚が何度も何度もありました。ダイアリー講座とスタートアップ1受講後→身体が電気が走ったように震えました。ギアチェンジされた日でした。 
 
―ギアチェンジ??? 

私は自分に×をつけることが多かったんですよ。ダメダメ。こんなんじゃ。だめ。みたいな気持ちがあったり、とにかく自信がなかったんです。長所を探しても、ダメな私をみてしまうことが多いし、周りの人は成長しているのに、自分は成長できないんだなぁみたいなことがあったけど、初級講座(スタートアップ)でプラス面以外にもマイナス面まで知ることができて、より自分を知ることができたんですよね。それも私なんだってね。でも、印象に残ったのは、「体験型」で、体験っていうことは複数体験っていう風になるから、色々やっててよかったんだ!って思えて嬉しかったんです。

―なるほど。これまで×をつけていたことが○に変わったんですね。

そうそう、これでよかったんだ〜。がちょっと理解できた感じ。
だから私は、単純だからもうそこでギアチェンジできたんですよ。
え?いいの〜???って(笑)

―素直が一番ですね!学ぶ中で素直になれたのはなぜですか?
 
そうそう、13年サイクルで過去の自分の人生を振り返ったんですよ。子供の頃の出来事、結婚して、出産して、親のことと、過去の出来事を書いて振り返ると、人のためにするのが心地よいと感じていたのは、自分が望んでいたことをしていたんだ・・・。年回りで見ていくと、全部が紐解けていって、あ。これがタイミング的にも、それが自分の役割だったんだ。ってわかって、すごく安心しました。他にも、みなさんも親から言われたことでいろんなトラウマになっていることとかあるでしょうけど、私はね、いつも親から、みやちゃんは損するよ〜。もう、人のことばっかりやってね。ってずっと言われてたことがあって、あんたは優しすぎるから。みたいなことで×をつけられていたから、そのことも(いろんなエピソードがあるから母もそう感じたんだとは思うんだけど)今思えば、私がそれをしたかったからしたし、マイナスにとらえなくてもいいんだって。自信が持てるようになりました。ダメな短所すらね(笑)

―そんなことがあったんですね。

ほんと思い返すと、子どもの頃から、感じやすく繊細、人に迷惑をかけない親からすれば手がかからない子。だけど、当人は素のままを出すことを怖がり、また周りに馴染めない自分のことを変わってるし、人との違いを感じ、私は未熟だと落ち込むことが多かったんです。一方、生き方、行動は活発で特に 26 歳の結婚後は自分の興味あることはどんどん行う方で・・・。 自覚はなかったけど、周りから「いつもいろんなことしてすごいね」と言われることも多くて、振り返るとたくさんの体験や資格も取り、経験を積んでいて、、、でも私はそのことを『何をやっても、いつまでたってもひとつのことを貫くことのできない未熟な私』と思っていたから、私は体験をするために生まれてきたと知ることで腑に落ちました。自分を知り、ちがいを知ることで、私は私、大丈夫、とわかってからは、今は周りを必要以上に気にせずに出せるようになりました。そして、生かされているからこそ、私のミッションを果たしたい、そう思えます。 (幼少期に全面大やけどしたり、いじめに遭う経験、交通事故など命拾いする体験を何度もしてます。) 数年前からの病気は一度手放し、私なりにゼロということを意識しました。マヤを学び続けているうちに今は「軽快」診断されて、第二の私の人生がスタートした!と思ってます。

―素敵です。これからどんな方にマヤ暦をお届けしたいですか?

一歩も前に進めない人とか、マイナスばっかり考えている方とかもいたりするんだけど、もっと大きな全体で見ると、こういう時代だから仕事をなくしたりとか、家族をなくしたりとか、人と別れたりとかなどもあるけども、それも悪いことじゃない。意味があっての、次の希望になるための出来事っていうのがわかったら、ちょっと笑顔になれるじゃないですか。下向かなくてもいいし、下向いてもいいけど、もう一回前を向こうっと言う気持ちにマヤ暦を学ぶとなれるから、未来に希望を感じたい方にそんな部分を伝えられたらいいなと思っています。

ーいいですね。なぜ、そう思うのですか?

私がそうだったからです。私、日々、やっぱりアップダウンっていう起伏が激しいわけではないんだけど、感じやすいんやと思うんですよ。元々、その起伏を楽しみにしている部分があって、もう天気みたいな感じですよね。晴れたり、曇ったり、雨が降ったり・・・。もちろん、ずっと晴れてなくてもいいと思うし、雨の日があってもいいんですよ。ただ、雨が降ってずぶ濡れになるのが嫌ならば、傘を持つ方法を知っていたり、その時の対処法がわかっていれば安心ですよね。そんな風に困った時の対処法がわかるのがマヤ暦だから、知っているといいなと思って。
それに、自分に相手の方の人生の根幹を変えるっていう力はないけど、マヤ暦は自分で対処法を知って、セルフケアできるのが良さでもあるから、ちょっとでもしんどい人のきっかけになると思うから、ぜひ学んでみてほしいと思ったんです。

―対処法を知ると安心できそうです。他に、マヤ暦を学ぶことでどんな良いことがあると思いますか?

やっぱり心が元気になるのはあります。あと、なんやろう。やっぱり、一生だからね。一生をどう生きるかっていう時に、泣いても一生、笑っても一生と思ったら、やっぱり笑顔の日が多い方がいいって思うんですよね。

―美也さんのマヤ暦が届いたら、なんか元気な気持ちになりそうです。

うん。私、やっぱり人が笑ってくれているのがすごく嬉しいんですよ。笑顔でいてくれるのがね、なんかそれが自分の鏡のような気がして、笑ってくれたら自分も嬉しいし、あ。これでいいんだ。っていうOKサインのような気持ちになります。
マヤ暦だったら、副作用がないし、まだまだ未熟だから上手く伝えられるかどうか。っていう自信はないけど、私が勉強したことで「今、こんなんよ」って言ったら、すごく喜んでくれて・・・自分まで嬉しい気持ちになるんです。

―その場にいなくても、優しい気持ちが伝わってきます。美也さんは、マヤ暦の講座がたくさんある中で、何が決め手となってシンクロニシティ研究会の講座の参加を決められましたか? 
 
マヤ暦の他の団体を知りませんでした。でも、信頼し、ご縁のある大⻄さん宮池さんからだったから学ぼうと思いましたし、最初にお聞きした研究会の三つの理念が素晴らしいと感激したので他の選択はないです。 また初級講座を終えて「次に学ぶアドバンスのシニアアドバイザー森川愛子さんという人はご縁ありますよ。美也さんの一番違いですね」と聞いて森川さんに一目お会いしたいと思いました。 不思議なご縁で導かれるようにして研究会のマヤ暦と出会い進んできましたが、学んでいく中で「私が知りたかったのはこういうことだ」私の中ですっきりしていく感覚が何度も何度もありました。 

―最後に見ている方へメッセージをどうぞ

ここまでお読みいただきありがとうございます。
自分も幸せになると周りもきっと幸せになれるし、マヤ暦を通して出会う人と運とご縁がつながって、日常の幸せ時間が増えると思っています。「マヤ暦は人生の地図」です。私は、マヤ暦を知ったことで人生が変わりましたし、自分なりに病気を克服できました。(心を整えて体まで元気になりました。)辛かった幼少時代がプラスになったり、自己肯定感が上がる体験をしたからこそ、この経験、体験が誰かの役に立つならば。と思っています。少しでも何か気になるキーワードがあった方、笑顔になりたい方、元気がほしい方、一歩でも前に進みたい方はぜひお問合せくださいね。少しずつ、紐を解きほぐしてスッキリさせていきましょう。(オンラインでも、リアルでもどちらでも対応しています。) 
 
このストーリーのアドバイザー
阿部美也 K227
アドバイザー
阿部美也 K227

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