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マヤ暦は生きる希望を与えてくれるものでした
「なぜ自分は普通にできないのだろう」
何度もでてくるこの言葉が印象に残る小野さんのインタビューです。友人の自殺未遂や自殺、実の父親の交通事故死、など、子どものころの様々な経験を赤裸々にお話してくださいました。 そして、元々繊細で傷つきやすかったこともあり、「生きにくさ」や「人生に対する絶望感」に支配されていた小野さんがどのように希望をもって生きることができるようになったのか。「これからは何が起きても大丈夫」と思えるようになったのか。 今生きづらさを感じている人、生きづらさを感じている大切な人がいる人に読んでもらいたいメッセージです。

マヤ暦に出合う前の私~いじめや友人の自殺、父親の事故死・・・衝撃的な出来事~

―マヤ暦を知る前にはどんな悩みをもっていらっしゃったんですか
マヤ暦に出合う前には「自分はなぜこんなに普通にできないんだろう」と思っていたり、一方で人生に対してものすごく冷め切って、何をしても心から楽しむっていうことがないということがありました。
そして、そういう自分に対してと、子どものこととなるとすごく敏感になって怒ってしまう自分に対して、大嫌いでした。
それに、いつも焦燥感みたいなものを感じながら生きてきたような気がします。  

―なぜそんな風に思っていらっしゃったんでしょうか
そうですね。私は五島列島で生まれ育ちまして、小さい時から本当に感じやすくて傷つきやすかったんです。

小学校の時には、同級生が結構荒れていていじめがありました。
小学3年生の時くらいに
「学校行きたくないなー」
と感じるとともに、
「みんなは学校に普通に行けるのに」とか
「なんでわたしは普通にできないんだろう」
と自分を責めていました。

そして小学4年生の時に、同級生の男の子があのいじめを苦に自殺未遂をしてしまって。
幸いなことに本当に命は助かったんですけど、障害が残ってしまいました。
その時には、学校に警察が来ていじめの有無についての取り調べを受けたり、ニュースに取り上げられたり、していました。
私はそのことにもすごいショックを受けていて、だけど、何かが良くなるわけじゃないみたいな環境の中でずっと学校に行かないといけないっていうのが続いていました。

小学6年生の時に学校内のイジメが悪化していって、その標的に自分がなりそうになり、私は小学6年生の時に初めて不登校になりました。
不登校の間も友達は家に遊びに来てくれたりとかはしたんですけど、どうしても学校に行けない。
みんなは普通に学校に行けてるのに「行くことができない自分」というのを責めながら
家にいて過ごすっていうのを続けていると、本当に心が荒んでいって冷めたような状態になっていきました。

中学入学のタイミングでもう一度私も学校に行ってみようという気持ちになって通い始め、ソフトテニスの部活に没頭して元気に過ごしていました。
しかし、その後すごく衝撃的な出来事がありまして。  

―え、どんな出来事ですか
同級生の中で、いつも私のことを守ってくれる存在というか、正義感が強くてすごくいつもそばにいてくれる男の子がいました。
でも、その子は家庭的に問題を抱えていて、リストカットを授業中にやったりとかしていたんです。
きっと、助けてほしいという悲鳴というかSOSだったんだろうと思うんですけど、自分には何もできませんでした。
そんなある日、その子が先生とトラブルになって警察に連行されてしまい、その夜に彼が自殺してしまったんです。

さらに中学2年生の時には、私の父親が交通事故で突然亡くなりました。

人の生死というか身近な人を失うという経験を小さいときからしてきたような気がします。
そのせいか、高校生になった時には結構心が病んでいました。
進学校だったので、成績順に順番がつけられて、宿題をして来なかった子たちが本当に怒られている姿っていうのを見たときにまた学校に行けなってしまったんです。
「なんで私はいつもこんなに影響を受けて、心病んで何もできなくなってしまうんだろう」
と自分を責めて、心療内科にかかったりもしていました。

そしてある日絶望感を感じた時があって、生きるのをもう諦めたくなったっていうことがあったんですよね。
で、全然何も手につかない状況が続いてて、もうこの世に未練はない、ぐらいな感じの感覚にもなりました。
もう自分を責めるような思考しか湧いてこなかったので、とにかくこの思考を止めてしまいたいと思って薬を大量に飲んでしまいました。
で、次に目が覚めたのが病院で胃洗浄をされていて生きてるっていうのを感じたっていうのも私の経験の1つですね。  

―そんなことがあったんですね。その後はどうされたんですか  
その頃、兄が大学の研修でハワイに行くから一緒に行かないかと言われて、初めて海外旅行に行きました。
そして、ハワイに行ってからものすごく私は人生が変わりました。

「なんて狭い世界で生きていたんだろう」

と気づけて、ハワイの気候に癒されたっていうのがあって、フラットな自分に戻れた感覚っていうのがありましたね。
そこで

「もう1回ちゃんと生きるということをやろう」

と希望を見出した時に通信制の高校を知ったんですよ。
通信制の高校に通ったら留年せずに進学ができるかもしれないと思って、私はすぐに通信制の高校に転校しました。
そして、どうしても大学に進学したいという気持ちがあったので通信制の高校に通いながらあの予備校に通って無事に留年せずに大学に進学することができました。  

―なるほど。いろんな経験をされているんですね。その絶望も乗り越えて大人になってからはいかがですか  
大学で社会福祉の勉強をして、卒業後に介護現場で働くっていう道を選びました。
でもどうしてかわからないけど、何かに影響されて心が病むということが度々ありました。
そうやって絶望したり、不登校になったりという経験から、「普通に生きていこう」と無理して生きてきてたんだと思います。
 

 マヤ暦を知ったきっかけ~「自分のことが大嫌い」だから占いをいろいろ受けてみた~

―マヤ暦はどのように知ったんですか  
これまでお話してきたように、
「なんで普通にできないんだろう」
「自分のことが大嫌い」
という思いからいろんな占いをやってみていました。
そんな延長でマヤ暦もセッションをうけた時にこんなにも自分のことを的確に語ってくれているものはないっていうぐらいの感動がありました。

 ―どんなところに感動されたんですか
わたしは赤い月の紋章を持っているんですけれど、赤い月がエネルギーに影響されやすいということを知った時に、
「だからあんなにきつかったし、しんどかったんだ」
っていうのがわかりました。
そうしたら、過去に普通にできなかった自分を責めるのを止めて、許せることができるようになったので、本当に心がものすごく軽くなりましたね。  

―セッションを受けてからすぐに講座を受けようときめたのですか
マヤ暦のセッションで「鏡の向こう」という言葉と意味を教えてもらった時に、
「もしかしたらこの人が鏡の向こうかもしれない」
という人がピンと浮かんだんですよね。
それで、調べてみたら本当にドンピシャの鏡の向こうの方で、それを分かった瞬間に
「あ、これはマヤ暦を学ぶしかないな」
っていう感じで感覚的に学ぶっていうことは決めましたね。  
 

マヤ暦を学び始めてから~マヤ暦は希望をくれるもの。これからは生きることをあきらめない~

―マヤ暦を学び始めてから感じたことを教えてください
そうですね。
スタートアップベーシック講座を受け始めて、出てくる言葉がすべて違和感なく、すっと入ってくる感覚っていうのがすごくありました。
なんか、今までどれだけ冷めて生きてきたんだろうかと、心が生き返っていくのを実感できましたね。
一番感動したのが人生の13年サイクルを学んだ時に、中学1年生の時に友人を亡くした時がK129の卦なしの時で、父を亡くした時がK234の時っていうのを知った時です。
今まで人生で起きたことというのは、悲しく辛いことではもちろんあったんですけど、それがなかったら、今の私がいないから。
そして、どんな悲惨な過去もやっぱり準備されていたんだなっていうことを知ることで、これから何が起きても大丈夫だっていうのを実感できて、本当に感動しました。
この時に、マヤ暦が生きる希望になったというか、これで何があっても生きることを諦めないでいいなっていう感覚っていうのがものすごくありました。

 ―そう感じられた時、周りの方は小野さんの変化を感じていらっしゃったのでしょうか
一番私のことを身近で見ていてくれたのが姉で、その姉とマヤ暦のセッションを一緒に受けたんですよね。
マヤ暦のセッションをZOOMで受けていた時に本当に一瞬で顔が変わったといわれました。
こんなにワクワクしているような、子供みたいな私を見たのは小さい時以来だっていう風に言ってました。
母もまさかこんな風になるとは思ってなかったって言いますね。  

―お母様もきっと心配されていましたもんね
そうなんです。
私が心を病んでいた時、母は何回も夜起きて私が生きてるのかっていうのを泣きながら確認していたそうです。
実はマヤ暦のアドバイザーになってから、母にマヤ暦のスタートアップの講座をしました。
そうしたら、マヤ暦の人生13年サイクルの最後のページが終わった時に母から
「マヤ暦って希望を与えてくれるものなんだね」
と言われて。
本当にうれしかったです。  

実は、母は、同居している息子(=私の兄)のことですごく悩んでいました。
兄はパワハラにあって心を病んでしまっていたので、母は
「どうにかしてあげたい」
「辛い思いを取り除いてあげたい」
という思いがあったようなんです。
でもマヤ暦を学んでからは、兄の思いを尊重してあげたいと思えるようになって、距離をとれるようになったみたいです。
そうしたら今まではバチバチ喧嘩してたのが、今はいい感じで過ごせていると。
母はマヤ暦を学ぶようになって、親子関係であっても相手を尊重することができるようになってきたと思います。  

―よかったですよね。小野さん自身、子どものこととなるとすごく敏感になって怒ってしまう自分が大嫌いというお悩みがあったと思うんですけれど、子どもに対してはどうなりましたか 
私の子ども2人とも私とは神秘キンの関係性でした。
そのことを知れたからこそ、自分を律することができるようになっていったっていうのがまず1つありますね。
また、母と同じように子どもをもっと尊重しようっていう思いを持つようになったので、まず子どもに聞くようになりましたね。
 

 マヤ暦をおすすめしたい人

―今までいろいろな経験をされてきて、どんな方にマヤ暦を知ってもらいたいと思いますか  
私はマヤ暦に出会って元気になって希望を持って生きていくことができています。
だけど今現在も生きていくのがつらいという人たちがいると思うので、生きていくことを諦めない人を増やしたいっていう思いがすごく強いですね。
だから、家族の問題で困ってらっしゃる方だったり、心病んでしまった方を心配している人だったり、癒しを必要としている方にマヤ暦が届くようなあの活動をしていきたいと思っています。
そして、不登校とかいろんな問題を抱えたお子さんがいるお母さんとかお父さんとか、おばあちゃんやおじいちゃんでもいいんですけど、家族の中に一人、マヤ暦を知っている方がいたら、そのスピリットって伝わると思うんですよ。
さらには、子供に携わってたり、教育現場にいたりするような、影響力のある方にマヤ暦は学んでほしいってすごく思います。  

―家族に一人マヤ暦を知っている人がいたらどうなるでしょうか  
そうですね。
どんな状況にいても、どんなに冷め切っている人がいたとしても、忘れられない言葉や体験ってあるんですよね。
私はハワイに行って本当に救われました。
ダイヤリー講座やFaceupto講座の中には、なんというか刻み込まれるような言葉やその言葉に含まれる精神があって、それが人の心に響くはずなんですよね。
マヤ暦を知っている人がいると、そういう言葉やスピリットで、すくい上げてくれるじゃないですけど、できるようになるんじゃないかなと思っています。  

―マヤ暦をお届けする上で小野さんが大切にしていることってありますか
マヤ暦って正解があるようでないというか、解釈の仕方が変わってくるというようなエネルギー上の学びなので、その方の思いとか解釈っていうのを大事に届けていきたいなっていうのはあります。
そのためにも、まずは自分としっかり向き合って、自分を整えることを、Faceupto講座やマヤミラクルダイアリー講座を通してお伝えしていきたいなって思っています。
そして、心がきつくて学校や会社に行けない、行きたくないという方に、みんな違ってみんないいということ、本当の自分を知って自分に戻ることをマヤ暦を通じて届けていきたいなって感じています。  
 

みなさんへのメッセージ

マヤ暦を学んでいる時に一番印象に残っている言葉が「汝自身を知れ」と「汝自身であれ」という言葉です。  
私は今まで何をしてても「心から」というのを感じることが少なかったんですけど、マヤ暦を学んでみて心から感じる時間が持てたり、心からの感動を味わえたりするような人生になってきました。
なので、マヤ暦を知って自分自身を知ってそれが実践できるようになると、本当に心が生き返って心から希望を感じながら生きていくことができるようになるので、ぜひマヤ暦に触れていただけたらなと思います。
このストーリーのアドバイザー
小野美里
アドバイザー
小野美里

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